8月15日、当家の祖先 佐藤栄助翁が東根町三日町にて生まれる。
プロシア(ドイツ)のラインホルト・ガルトネルが渡島国亀田郡七重村(北海道七飯町)を開拓し、6本のさくらんぼをはじめ、多種の西洋果樹等を試植した。
内務省の交付を受け、洋なし・りんご・ぶどうなどの苗木とともに3本のさくらんぼの苗木が山形県庁の敷地内に植栽された。同時に北海道、東北各県にも導入された。山形県のみが栽培継続している。
初代の山形県令三島通庸が、北海道開拓使庁からりんご・ぶどう・さくらんぼの苗木をとり寄せ、山形市の試験地に植栽。
産業試験場にて、内務省勧業寮から導入した果樹の試験栽培を実施。さくらんぼ苗木増殖のため、ヤマザクラ(山桜)の台木を用いて「台接」と「芽接」を行う。
佐藤栄助翁、家業(醤油醸造)を廃業し自分の好きな農家の道へ。家屋敷を整理し松林を開いて果樹園経営を始める。
当家の祖先 佐藤栄助翁、「佐藤錦」の育成を始める。
以前から果物の栽培をしていた栄助翁は、果肉が固くて酸味のある「ナポレオン」と、甘いが保存の難しい「黄玉(きだま)」に着目。交配によりできた実を発芽させて苗木を約50本作り、その中から質の良いものを20本ほど移植して育成した。
育成開始から11年、強い情熱と努力によって佐藤栄助翁の「佐藤錦」が初結実をみる。
初結実から2年後、約20本の苗木の中から最も優れた1本を選び、「佐藤錦」の原木とすることに成功。
ヤマキ農場の樹齢42年の桜桃ナポレオン種。右が佐藤栄助翁。
佐藤栄助翁が育成したさくらんぼの新品種が、岡田東作翁によって「佐藤錦」と命名される。
当初、栄助翁は新品種を地名にちなんで「出羽錦」と名付けようとしたが、栄助翁とともに新品種の開発に情熱を注いできた、友人である岡田東作翁は、佐藤栄助翁の功績と「砂糖のように甘い」という二つの意味を込めて「佐藤錦」と名付けることを提案したといわれている。
山形県のさくらんぼ収穫高が戦前の最高記録(昭和8年:2,146t)を上回る。(収穫量3,310tで全国の約62%)
山形県内3軒の農家が試験的に観光さくらんぼ園をはじめる。
この頃までは「ナポレオン」の生産が主であったが、「佐藤錦」の植栽がしだいに増えはじめる。
さくらんぼが「県の木」に制定される。
山形県立園芸試験場で「佐藤錦」と「天香錦」を交配し、「紅秀峰」が選抜される。
山形県でさくらんぼが史上最高の大豊作を記録。(収穫量20,400tで全国の約85%)
「紅秀峰」が初結実する。
山形県の佐藤錦の栽培面積がナポレオンを抜き最大となる。佐藤錦798ha、ナポレオン677ha、計1,660haで全国の約61%(収穫量は14,600tで全国の約79%)
山形県立園芸試験場で育成された「紅秀峰」と「紅さやか」が品種登録され、奨励品種になる。
JRさくらんぼ東根駅前に、佐藤栄助翁の功績をたたえたブロンズ像が建立される。
山形県のさくらんぼの栽培面積が過去最大となる。(栽培面積3,180haで全国の約61% 収穫量は10,700tで全国の約71%)
山形県のさくらんぼの産出額が過去最大となる。(産出額374億円で全国の約83%)
大玉新品種「山形C12号」が品種登録される。(1997年に交配。20年かけて品種育成を行い2017年に品種登録出願。)商標「やまがた紅王」。
令和5年の「やまがた紅王」本格デビューに向けて、県内や首都圏内等で知名度向上を目指し、先行販売される。
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